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トイストーリー4を久々に観たので再解釈してみた

TOKブログ
『TOK’s GAMEs BLOG』のTOK(トック)です!
今回は

先日ディズニープラスでトイストーリー4を観まして、これで5回目くらいの視聴になりますが、やはり観終わった後のもやもやはなくなりません。

トイストーリー3が良すぎたせいで少なくとも日本ではあまり良い印象ではないトイストーリー4ですが、今回の試聴で私なりに考え再解釈しようと思いました。

※中身のないスカスカな文章もありますが、私個人の感想ですのであまり気にしないでください。

そもそも何がよくなかったのか

単刀直入にいえば、トイストーリー3で全てが綺麗に終わっていたからです。

長年の持ち主のアンディが、大学へ入学することをきっかけに、おもちゃであるウッディがどうあるべきか。

主にウッディ視点で描かれていきます。

仲間たちとの絆も3で完成されていた

これまでの映画同様に、おもちゃたちの”思いがけないトラブル”を回避するために、おなじみの仲間たちが奮闘するのですが、この仲間たちと過ごす時間が一番多かったのもトイストーリー3なだけに、終わりを迎える作品としても最高の締めくくりになっていたはずなんです。

つまり、『先の展開はない方が良い』んです。

いや、『あるべきではない』んですね。

後のことは想像におまかせします。これでいいんですよ。

おもちゃの使命というテーマ

トイストーリーは全作を通しておもちゃであることの意義についてをテーマに、意思のあるおもちゃたちが持ち主の元でどうあるべきかを考えていく作品です。

これまでの作品では感情の右往左往はありつつも、結末はこうなっていました。

※ストーリー解説ではないためざっくりした内容です。

トイストーリー

1番のお気に入りで2番を知らなかったウッディの元にやってきた、バズ・ライトイヤーをきっかけに嫉妬と憎悪で狂うウッディ。

仲間たちはバズを受け入れ、アンディもバズに夢中に。

バズのふるまいが気に入らないウッディは攻撃的に接するようになります。

とあることをきっかけに隣の家のシドの元に行くことになり、バズと協力して脱出する。

その一連の流れで友情を知り、自分自身の罪や嫉妬から解放されバズや仲間たちと共に生きていくことを選ぶ。  

嫉妬の怖さと自信を見失い悪いことをしてしまったウッディの反省と懺悔の物語でしたね。


最終的にウッディは自分が一番であることに対するこだわりを持つことはなくなり、持ち主のアンディの元で『仲間たち』と一緒にいることを幸せを見つけます。

トイストーリー2

前作から4年後の話で、相変わらずアンディの中ではバズとウッディがお気に入りでした。

とある事故で片腕が壊れてしまうウッディ。

そして、アンディの母親がヤードセールを行い、これまで一緒だったはずの仲間たちが売られてしまうことを知り、なんやかんやあって、一作目でもチラッとTVで出てきたAl’s Toy Barn(アルのトイバーン)の社長のアルに盗まれてしまうウッディでしたが、そこで知り合うジェシー、プロスペクター、ブルズアイを通して自身のおもちゃとしての役割を放棄しかけてしまいます。

最終的にはバズや仲間たちの協力もあり、プロスペクターを除くジェシーとブルズアイはアンディの家へ連れていくことにしました。

トイストーリー2でウッディが学んだことは、『いずれ捨てられたり飽きられてしまう可能性があっても持ち主の意思に従うこと、それがおもちゃの使命である』という自分達の生きる意味を理解したことでしょうか。

トイストーリー3

トイストーリーから6年後の話。

実際に持ち主に飽きられてしまい、忘れ去られてしまうという懸念が現実に起こってしまう。

いつも通り、なんやかんやあって仲間たちはアンディの元を”自分達の意思”で脱出しようとしてしまうのですが、ウッディが全力で止めます。

『いずれ捨てられたり飽きられてしまう可能性があっても持ち主の意思に従うこと、それがおもちゃの使命である』ということを説明しますが、仲間たちは聞く耳を持ちません。

ウッディはどんな時でも友達を見捨てないので、もちろん最終的には救い出します。

最後はアンディと一緒に大学にいくため最後の身支度をしますが、アンディと母親の別れの挨拶を見たことをきっかけにウッディの中で何かが変わるのでした。

この時初めてウッディは持ち主の意志を変えるために、自ら行動して未来を変えることにしました。

トイストーリー3のウッディは、『自分自身の運命がどうなろうとも、仲間たちと生きていく』ことを選ぶのでした。

これまでの作品の特徴と共通点

私は映画を観る時はまず主人公視点に立ち、その後に客観的に考えてみるのですが、まず全作品通してウッディは他の人の感情や気持ちに流されやすいと性格をしていると思います。

トイストーリーでは、

  • 自分が一番だからこそアイデンティティを保てていた
  • 嫉妬に狂って周りが見えなくなる(自我の崩壊)
  • 仲間たちからの評価を気にしている
  • 地位を取り戻すためにバズを説得する

この時のウッディはいわば、挫折や壁を知らない階段上がりの人生。

初めて自分以外のおもちゃが注目を浴びる経験をしたことで、負の感情が自分の予想以上に出てしまいました。

おそらく自分自身の行動のやばさに気づいていないと思います。

たくさん苦労している人ほど将来強くなるのと似てるよね。

良くも悪くも、困難を知らずに生きることの純粋さが一番危険だよ。

そしてバズへのコンプレックスを克服したトイストーリー2では、

  • 仲間と一緒にいることへの執着が強まる
  • ジェシーのために自分自身にこれが正解だと言い聞かせる
  • 最終的な結末はともかく、バズたち仲間の元へ連れて行こうとする

ここで重要なのは、基本的にウッディ自身の行動や意見というよりも、起こっている状況によってウッディ自身の意見が大きく変わっていることですね。

一番驚いたのは、ついさっきまで日本へ行く道を選んだのに、バズが助けに来た後に家に帰ろうと即座に案が変わることでしょうか。

とにかく状況や人の感情に流されやすいよね。

2で仲間が捨てられるシーンをたくさん見てきたからだろうか。

実際何が正しいかは、本人もわかっていないんだろうね。

そしてたくさんの困難を乗り越えてきたトイストーリー3では、

  • トイストーリー2で予期していたことが現実で起きてしまう
  • 根拠はないけれど仲間と一緒にいることの大切さを最後まで言い続ける
  • 仲間たちといたいからアンディとの別れを自らの意思で選択する

この時点ではウッディの中で、『仲間といれば…』『アンディならこうする』というのがもはや口癖になっているんです。

これまでもたくさん仲間たちに支えられてきたことの裏返しでしょうか。

もう執着に近い形で仲間たちの意志をコントロールしようとします。

最終的に自分の意思だけでこれまでのモットーを変えようとしたのは初めてだよね。

現実を見るようになったウッディ

トイストーリー3でのウッディの行動は、前半こそ『おもちゃの使命』や『持ち主の意思』を尊重していましたが、後半では避けられない現実と、自身の感情に従い始めているんです。

つまり、

  • 『アンディならきっと…』はなかった
  • 『いつまでも一緒に』は自ら選択しなければ起こらなかった
  • 別れることの寂しさ、悲しさを知った

1や2で感じていなかった、別れという現実を目の当たりにし、おもちゃの使命を破ることにしたのです。

なによりも仲間たちのために行動するウッディ

ウッディ自身の意思がハッキリと出たのはトイストーリー3の最後が特に目立ちましたが、基本的に行動の理由ほとんどは仲間たちにあるんです。

ここからわかるのはやはりウッディには感情や状況に流されやすいということがよくわかります。

誰一人悲しい思いをさせたくないという正義感と、優柔不断な部分が混同しているんですね。

おもちゃだけど、誰よりも人間らしく生きているのがリアルだよね。

このことからトイストーリ4を読み解く鍵があるんじゃないかな。

トイストーリー4ではどうか

長々とまとまりのないことを書いてきましたが、本題です。

この映画、最初に見た時は色々と驚いたんですが、ある意味リアルなのかもしません。

  • ウッディはもはや仲間たちの中で最下位の押入れの存在
  • ボニーのウッディに対する興味のなさ
  • バズのポンコツ具合
  • 仲間たちの感情の薄さ

特にボニーはもうウッディに興味すらありません。

でも、よくよく考えたら当たり前なのかもしれません。

4歳の女の子がウッディを好きになるのだろうか。

同じおもちゃで遊び続ける年齢でもない。

人からもらったおもちゃに愛着をそこまで持てるのか。

よくよく考えてみたら、ボニーの行動は真っ当なんだと思います。

トイストーリー3の最後のシーンに注目してみた

アンディがボニーにウッディ以外のおもちゃを渡す時に行ったセリフ。

『みんなを大切にしてくれると約束してくれるかな?僕の宝物なんだ。』

本当に名言です。このシーンは今ブログを書いているだけでも泣きそうになります。

自分達に興味がないと思っていたおもちゃたちへの最高の言葉。

注目なのはこのセリフを言ったあとのボニーです。

『わたしのカウボーイだ!』

多分ほとんど聞いてない!

子供ってそんなもん。

17歳のアンディと4歳のボニーでは物に対する価値観なんて全然違います。

子供は新しいおもちゃに一旦夢中になりますが、次の日には興味を失うなんて当たり前。

そうなんです。そんなもんなんです。

トイストーリー4はリアル路線

トイストーリー4で伝えたいことはざっくり書くとこうでしょう。

  • 子供のリアルな視点を描いた
  • おもちゃの価値は出会った瞬間の運できまる
  • 現実で起こっていることをただ映画として見せただけ
  • これまでのウッディの物語の行き着く先を描いた

う〜ん、トイストーリーでやる必要あるか〜?

なぜトイストーリーでそれを演出したのか考えてみようか。

ウッディの異常な執着

トイストーリー4は全てを通してウッディが病んでいるように見えるんですよね。

これまでのシリーズでもあった通り、

  • おもちゃの使命への執着
  • アンディへの執着
  • 仲間と一緒にいることの執着

自分がいちばんのおもちゃになるどころか、最下位になってしまいましたが次のウッディの目的は『誰も悲しまないようにしたい』です。

それはおもちゃ仲間に対してではなく、人間であるボニーに対しても現れてしまいます。

ウッディが本当の使命を失ってしまった

ウッディは長年アンディと暮らしてきました。

アンディは自分と同様にウッディを大切にし別れる最後まで、お互いが特別な存在でした。

そんなアンディを失ってしまったウッディは、ある意味すでに役目を終えてしまったんだと思います。

  • ボニーのことをアンディと言い間違えてしまう
  • ふとした時にアンディと言ってしまう
  • 俺にはこれしかないんだ

ボニーのことをアンディと言い間違えてしまう

映画の中盤でフォーキーと2人で歩きながら、仲間といることの大切さを教えるシーンで、うっかりボニーのことをアンディと呼んでしまいます。

俺にはこれしかないんだ

ストーリー終盤、おもちゃを救うために犠牲を伴わないことに気付いたボーに『目を覚まして』と怒られた際に、『俺にはこれしかないんだ』と言います。

これ実はトイストーリーにも似たシーンがあって、バズが宇宙船を修理している時に『アンディは俺のものだ』と言ったシーンの感じととても似ているんです。

執着を使命と勘違いしている

極端に言えば、ウッディの真意って『アンディは俺のものだ』『俺にはこれしかないんだ』にあると思っています。

アンディと一緒にいた人生が彼の最高点であり、アンディを失った今はもう誰かを救うことで自分自身の存在意義を作るしかない。

偶然の出会いはそう起こらない

ボニーは、バズやフォーキーと人形遊びをします。

しかし、たまたまウッディ自身にはあまり興味を持てなかっただけなんです。

アンディは一つのおもちゃを大切にし、友として心の中に持つことができる人だっただけなんです。

これも全て偶然の出会い。

人間らしさというのは、気まぐれだったり気分だったりでもあり、たまたま思い出したから新しいストーリーが動くなんてこともたくさんあります。

ボーや仲間たちは気づいていた

『目を覚まして』の一言でもわかるように、ウッディ自身の執着に気づいていたんだと思います。

おそらく、アンディに執着しているのは、仲間たち含めてもウッディだけでしょう。

みんなが今の状況を割り切って生きているのに、ウッディはきっと病のようになっている。

だからこそ、きっかけがないとウッディは変われないと思ったのでしょう。

最後のシーンに全てが繋がる

さて、そんなウッディですが今回の敵キャラ(ある意味では仲間)であるギャビーギャビーの最後に注目していきます。

いつも通り他人に流されやすいウッディなので、あっさりボイスボックスを渡してしまいますが、『俺にはこれしかないんだ』という執着の終点になる部分でしょうか。

ボイスボックスがない=おもちゃとしての使命を終える。

ボーと共に生きていく道を選んだウッディは、仲間たちへの別れというよりも自分自身の気持ちに気づいたのでしょう。

執着からの解放

ウッディだけの話ではないんですが、現実の私生活にもよくありますよね。

本音では嫌だと思っていても、自分自身の本当の気持ちに気づいていない。

生きていく上では何かしらの使命や役割、他者からの評価が必要です。

評価してくれる相手を失ったウッディが行き着いた先は、執着からの解放です。

ウッディの人生の執着を救う物語

今までの作品以上に仲間たちの頑張りが感じられないのは違和感ではないと思います。

ウッディだけが現実に向き合いきれず、仲間たちは成るように成る道を選んでいるのだと思います。

そんなウッディを執着から解放させる物語、それがトイストーリー4のテーマだと考えました。

本当にトイストーリー4は必要だったか

心に響く映画って2つの終わり方があると思うんです。

  • ①エンディング後の世界はご想像にお任せ
  • ②エンディング後の世界を確定してしまう

特にキャラクターの心理を大切にしているヒューマンドラマ系の映画は、この2パターンで構成されていることが多いです。

全然違う映画ですが、インセプションは最後の解釈によってはその後の未来を180度変えてしまう重大な演出です。

それをあえて①のパターンで演出するには理由がありますよね。

続編は作らないからです。

続編を作らないことによって、そのエンディング後の状況を個人の見解に任せる。

だからこそどっちの解釈でも繰り返し見れる最高の映画になったんです。

【個人の感想】トイストーリー4は必要ではなかったと思う

続編には作る理由が必要です。

作らない選択をするのもプロの仕事だと思っているからです。

4に関して個人の感想を言うのであれば、

『作る理由を無理やり作った』

これに尽きますね。

トイストーリー5が公開されてしまう

これは本当に訳がわかりません。

公開されたスクリーンショットや映像には、ウッディがいますし4の展開はなんだったんかと。

同じディズニーが作っているシュガーラッシュオンラインもそうですが、最近のディズニーは前作の展開を否定する作品ばかりなぜ出すのでしょうか。

実写版もそうですが、原作改変など多く、過去の焼き直しばかりをするのはなぜなのでしょうか。

このままいくとアナと雪の女王3も失敗するのではないかと不安になりますね。

過去作の否定が多すぎる

先ほどのシュガーラッシュオンラインが典型例ではないでしょうか。

自分の存在意義を求めて必死に生きようとしたヴァネロペや、ラルフの頑張りはなんだったのでしょうか。

そしてまた別れたはずの2人が出会う。

このパターンが多すぎます。

続編でやらかすと過去作全てが駄作になる

感動し、涙を流す最後を迎え思い出に残った作品も、次回作で失敗すると過去作の全てが否定されたかのように感じてしまいます。

私を含め、否定的な意見を持つ人はきっと、

完璧な終わりを迎えたトイストーリー3に続編!!??

完璧な終わりだったのに…。
3以上に良い作品になるの??

このように身構えてしまったと思います。

その時点でマイナス評価ですよね。

【さいごに】

最後まで見てくださりありがとうございました。

ほとんどまとまりがなく、書き殴っただけになりましたが、私の気持ちはやはり変わりませんでした。

もちろん好きな方は当然いますし、海外では人気みたいですね。

それぞれの人生観によって、色々な意見を言えるのが映画の楽しみ方だと思います。

これからも何か気になる映画があったらレビューしていきたいと思います!

モイス

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