メインビジュアル
Xアイコン
noteアイコン
TOK's WEB LABアイコン
スクロールアイコン
本記事はアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。
時計アイコン

ゲーム好きだからこそ感じる「最近のゲーム文化」の違和感

ゲームレビューブログ

最近、ゲーム実況や解説、小ネタ系のYouTubeを仕事しながら流すことが多い私ですが、最近のゲーム業界(ファン、プレイヤー、リスナー、メディア)に、とある違和感を感じるようになったので、それについて書いてみようと思いました。

ゲームの評価がメタクリティック基準になっていることが多い

こちらはゲームが発売される前のメディア系の記事になりますが、今はメタクリティックという世界的な大手メディアからのスコアと、ユーザースコアを平均化させたもので『ゲームの良し悪し』を判断する傾向が多く見られます。

確かに、インディーズや大手のゲームであっても評価というものは、平均的な楽しさやつまらなさの基準となる部分を作る意見でありながらも、購入を検討する指標にもなります。

私は必ず買うと決めているゲームのスコアを事前に気にすることはありませんが、それは確実に面白さが保証されている、もしくはそれほどまでに気になっている作品だからこそある、信頼からくるものです。

それでも、無名なタイトルや、新規IP(最近でいうカプコンのプラグマタなど)はやはり気になるものではありますね。

評価通りのものと、全く異なる作品の違い

ここで重要なのは、気にしないと言いつつも、必ずチェックしている私ではあります。

しかし例えばスコアが平均より高い、86点のゲームを楽しめたかというと微妙な時もあれば、76点くらいのものを楽しかったと感じるこちはよくあります。

これは、スコアの基準が主にメディアや開発者視点になっていることが多いからだと思います。

  • 新しいシステムがあるか
  • 斬新なゲーム体験ができるか
  • 既存タイトルとの差別化ができているか

こういう点で評価がされるからでしょう。

全く変わらない、進化を求めていないゲームもある

例えば、ドラクエ11はメタスコアが脅威の91点でしたが、世間の評価がどうかというと、ドラクエに何を求めているかによって実際のユーザー評価が大きく分かれる作品でした。

  • ドラクエらしさを求めたい(ターン制バトル)
  • 従来のグラフィックのままがいい(従来のものを3D化)
  • 残酷でありつつも感動的なストーリー

これらはドラクエを構成する重要な要素です。

一方で、

  • ありきたりなターン制に飽きた
  • 並行世界侵入による感動の薄れ
  • Sで追加されたボイスの有無

これらは実際に評価を下げた要因でもあります。

進化しすぎて後退してしまったゲームもある

ファイナルファンタジー16(FF16)やキングダムハーツ3(KH3)は進化させ過ぎたことにより賛否が大きく分かれた異例の作品でもあります。

特にFF16は、今までのタイトルにはなかった完全アクション全振りの戦闘スタイルや、FF15から目立ち始めたムービーラッシュ。

そして、KH3も同様にゲーム体験の大幅な進化と同時に起こったキャラクター制の改悪、操作の単調さなど評価が著しく下がった作品も多くあります。

これらのゲームに要因される問題は主に以下です。

  • 映像美そのものより、“ゲームとして面白いか”を重視しているユーザーも多い
  • ムービーよりゲームがしたい
  • 冗長なストーリー展開に興味がない
  • 突発的な展開についていけない

などでした。

ゲームハードの進化と共に、衰退してしまうゲームがあるというのもなんとも皮肉な話ですね。

ゲームの難易度緩和問題

25年間ゲームをプレイしてきたいちユーザとして、そもそもゲームって何をするものでしょうか?

課題の乗り越え、打開策を見つけるもの

従来からゲームをプレイしている人の多くが経験している、『昔のゲームは難しかった』という点です。

親切な設計でもなく、どこに向かえばいいのかわからない、

今でこそ日本の代表ゲームタイトルである、マリオやポケモンは、昔のシリーズは特に難しく到底子供にはクリアできない難易度でしたよね。

でも分からないなりに思考し、打開策を見つけ、発見し、課題を乗り越えたあの快感こそ、ゲームの醍醐味であることは多くのユーザーが今でも求めていることに変わりはないと思っています。

ゲームは『攻略』するもの

最近のゲームは、ヒントを知っていて答え合わせをしにいくもの。

私はそう感じます。

特にオープンワールドではこの辺りの構成が顕著で、オープンワールドを採用しているゲームの多くが、マップに行き先や何をすれば良いかの課題のヒントが常にあります。

しかし、ゲームとして成立しているものは、自分自身で解き明かしゲームそのものを『攻略』することに意味があるんじゃないでしょうか。

だからこそ、ゲームをプレイする時代から、ゲームは見るもの(実況など)に変わってしまった要因だと思っています。

今も昔も変わらない面白いゲームたち

バイオハザードレクイエム(PS5 / Switch2 / Steam)

私が初代バイオハザードから、派生作品までありとあらゆるシリーズを通してプレイしてきたゲームです。

今作は特にその面白さを感じることができて、シリーズで大きな変革を起こした、バイオハザード7やヴィレッジの良いところを引き継ぎながら、悪かったところを削ぎ落とし完璧な『バイオハザード』に仕上がっていると思います。

ちなみに7とヴィレッジの悪かったところは以下のような感じです。

  • たらい回しにされるストーリー展開(やや無理やり)
  • FPS視点の感度の遅さ
  • SFチックな展開
  • 戦闘の単調さ

主人公が準一般人(笑)のイーサンに変わったことで、プレイヤーと一心同体の流れを作る理由としてはよかったんですが、やはりバイオハザードと言えば主人公自身に明確な目的があることでしょうか。

確かに、イーサンは7ではミアを探す、ヴィレッジでは娘のローズを救うというような真っ当な目的がありましたが、やや出来すぎている(黒幕に踊らされていたり、絵本と同じような展開になる)点がバイオハザードらしくないと感じる部分でした。

しかし、そんな流れも新作のレクイエムでは圧倒的な改良を加えて復活しました。

特に良かったのが、「恐怖」と「物語」のバランス感です。

バイオハザード7は、確かにホラーゲームとしてはかなり完成度が高かったです。

閉鎖空間の怖さや、“何がいるかわからない”緊張感は、シリーズの中でもトップクラスだったと思います。

ただその一方で、後半になるにつれて、

  • 急にSF色が強くなる
  • クリーチャーとの戦闘中心になる
  • “怖さ”よりアクション寄りになる

という、従来シリーズでもよくある流れに戻ってしまった感覚がありました。

ヴィレッジも同様で、序盤は本当に最高なんですよね。

特にドミトレスク城周辺の雰囲気や、得体の知れない恐怖感はめちゃくちゃ良かったです。

でも中盤以降は、バイオというより“テーマパーク型アクションホラー”みたいになっていった印象がありました。

一方でレクイエムは、怖さだけに頼っていないんです。

ちゃんと「探索する不安感」「先に進みたくない感覚」「限られたリソースで突破する緊張感」が戻ってきていました。

これって、昔のバイオハザードが持っていた“攻略するホラー”なんですよね。

ただ怖い敵が追いかけてくるだけではなく、

  • この鍵はどこで使うのか
  • 弾をここで使っていいのか
  • そもそもこのルートで合っているのか

みたいな、“考えながら進む恐怖”がちゃんとある。

私はここが本当に重要だと思っています。

最近のゲームって、映像や演出で怖がらせる方向に進化している作品も多いんですが、昔のバイオって“ゲームシステムそのものが怖かった”んですよね。

だからこそ、レクイエムは単純に「グラフィックが進化したバイオ」ではなく、“昔のバイオらしさ”を現代向けに再構築した作品に感じました。

しかも、その上で操作感やテンポ感は現代向けにしっかり改善されている。

昔ながらのファンに寄り添いつつ、新規ユーザーでも遊びやすい。

このバランス感覚は、本当にうまいなと思いました。

詳しくはこちらで記事でどうぞ!

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド / ティアーズオブザキングダム(Switch / Switch2)

私がゼルダシリーズを本格デビューしたのはゼルダの伝説トワイライトプリンセス(Wii版)でした。

最近のゼルダは私が嫌いなオープンワールドを採用しているにもかかわらず、当時の作品の面白さをそのまま進化させたものだと思っています。

特に、ブレスオブザワイルド(BotW)では、お馴染みのダンジョン攻略や謎解きの面白さを、オープンワールドという形にうまく落とし込めていたのが本当に衝撃でした。

普通、オープンワールド化すると、

  • 一本道感がなくなる
  • ストーリーが薄くなる
  • 何をすればいいかわからなくなる
  • 移動が作業になる

といった問題が出やすいんですが、BotWはその“自由さ”自体をゲーム体験に変えていたんですよね。

例えば、山を見つけたら「あそこ登れそうだな」と思う。

普通なら見えない壁や制限がありそうな場所でも、実際に行けてしまう。

しかも、その先に祠や装備、ちょっとしたイベントが用意されている。

この「自分で発見した感覚」が本当に気持ちよかったんです。

最近のゲームって、“ゲーム側から提示される楽しさ”が多いと思うんですよね。

  • マップに表示される
  • 次にやることが表示される
  • 一本道でイベントが始まる

みたいな。

でもBotWは、「自分で気づく」「自分で寄り道する」「自分で攻略法を見つける」という、“昔のゲームが持っていた感覚”を、現代向けに進化させた作品だと思っています。

だからこそ、単なるオープンワールドでは終わらなかった。

ティアーズオブザキングダム(TotK)も同様で、ウルトラハンドやスクラビルドなど、普通なら“開発側が想定した遊び方”しかできなさそうな要素を、ユーザー側が自由に壊し始めたのが本当に面白かったです。

空飛ぶ兵器を作ったり、意味不明な乗り物を作ったり、明らかに開発者の想定を超えた遊び方が大量に出てきました。

でも、それを「バグだから修正します」ではなく、“それも遊びとして成立させてしまった”のが今のゼルダの凄さだと思います。

結局、私が最近のゲームに感じる違和感って、「進化しているかどうか」ではなく、“攻略する楽しさ”が残っているかどうかなんですよね。

どれだけ映像が綺麗でも、どれだけ広大でも、

  • 自分で考える余地がない
  • 発見がない
  • ただストーリーを追うだけ

になってしまうと、ゲームというより“体験型映像作品”に近く感じてしまいます。

逆に、多少不便でも、

  • 「これどうやるんだ?」
  • 「もしかしてこうか?」
  • 「うわ、こんな方法あるのか」

と思えるゲームは、今でも夢中になれます。

たぶん私は、“ゲームを攻略していた時代の感覚”を、今でもどこかで求めているんだと思います。

フロムソフトウェア・ソウルシリーズ全般

フロムのゲームは今も昔も変わらず圧倒的な難易度と『ゲームとはこういうものだ』と実感できる構造を一切変えていないまさにゲームのお手本のような作品です 少しコアな作品ではありますが、だからこそ、ここまで熱狂的なファンが生まれているんだと思います。

ソウルシリーズやエルデンリング、SEKIROに共通しているのは、「プレイヤーを過剰に甘やかさない」ことです。

最近のゲームでは当たり前になった、

  • 丁寧すぎるチュートリアル
  • 常に表示される目的地
  • 失敗前提の救済設計
  • 派手な演出による達成感

みたいなものを、フロム作品はかなり削っています。

その代わり、

  • 敵の動きを覚える
  • 地形を見る
  • 自分で攻略法を探す
  • 何度も失敗する

という、“ゲームを攻略する感覚”そのものが中心にあります。

特に面白いのが、「死ぬこと」がゲーム体験の一部になっているところです。

普通のゲームって、ゲームオーバーになるとストレスなんですよね。

でもフロム作品は違います。

「なんで死んだ?」
「次は避けられるか?」
「この敵、実は隙あるんじゃないか?」

と、失敗そのものが攻略情報になっていく。

だから負けても続けたくなるんです。

しかも、これだけ難しいにもかかわらず、“理不尽感”は意外と少ない。

もちろん初見では意味不明なことも多いんですが、ちゃんと観察すると、

  • 敵のモーション
  • 音・効果音
  • ステージ構造
  • アイテム配置

など、ゲーム側がしっかりヒントを置いているんですよね。

つまり、「難しい」のではなく、“学ばせる設計”になっている。

ここが単純な高難易度ゲームとの大きな違いだと思っています。

そして何より、フロム作品って“達成感を演出に頼っていない”んですよね。

  • 長いムービーもない。
  • 大げさな褒め方もしない。

でも、何十回も負けたボスを倒した瞬間、プレイヤー自身の中に圧倒的な達成感が残る。

あれって、「自分で乗り越えた」という感覚が強いからなんだと思います。

だから私は、フロム作品がここまで支持されている理由って、単純に“難しいゲームだから”ではなく、

「昔のゲームが持っていた、“攻略する楽しさ”を今でも真正面から作っているから」

なんじゃないかと思っています。

ピクミンシリーズ

ついにSwitch一台で全作品を遊べるようになったピクミンシリーズですが、改めて遊ぶと、「ゲームデザインの完成度」が本当に異常なんですよね。

ピクミンって、一見するとかなり可愛いゲームに見えます。

でも実際にやってみると、

  • 段取り
  • 時間管理
  • ルート構築
  • リスク管理

など、かなり“頭を使うゲーム”なんです。

特に初代ピクミンは、30日という制限時間があることで常に焦りが生まれます。

今のゲームって、「いつでもできる」「取り返しがつく」が基本設計になっていることが多いんですが、ピクミンは違いました。

  • 今日この作業を優先するべきか
  • パーツ回収を進めるか
  • ピクミンを増やすか
  • 夜になる前に戻れるか

をずっと考え続ける必要がある。

しかも、ピクミンって普通に死ぬんですよね。

しかもかなりあっさり。

初めて大量に溺れたり、捕食された時のショックって、今でも覚えている人多いと思います。

でも、その“失敗の重さ”があるからこそ、

  • 無駄のない動き
  • 敵への対処
  • 最適化

を自然に考えるようになる。

つまり、プレイヤー自身がどんどん上達していくゲームなんです。

これって、最近だと意外と少ない感覚なんですよね。

特にピクミン4はかなり遊びやすくなっていて、

  • ロックオン
  • 救済要素
  • 操作性改善
  • ヒント強化

など、かなり現代向けに調整されていました。

これはこれで間違いなく良い進化なんですが、一方で、昔の“ちょっと不便だけど自分で覚える感覚”が薄れた部分もあると思っています。

ただ、シリーズとして根本が変わっていないのが本当に凄い。

  • 「ピクミンをどう動かすか」
  • 「1日をどう使うか」
  • 「限られた戦力でどう攻略するか」

という、ゲームの面白さの軸は今でもちゃんと残っています。

だからこそ、ピクミンって今の時代でもちゃんと“ゲームしてる感”があるんですよね。

可愛い見た目なのに、やってることはかなりシビア。

でも、そのシビアさを乗り越えて最適化できた時の気持ちよさは、今も昔も変わらないと思います。

created by Rinker
¥4,428 (2026/05/18 03:50:17時点 楽天市場調べ-詳細)
created by Rinker
¥5,659 (2026/05/18 13:03:38時点 楽天市場調べ-詳細)
created by Rinker
¥5,720 (2026/05/17 22:40:50時点 楽天市場調べ-詳細)

【EX】○○年越しに見つかった系

ここからは少しネタ枠として書きます。

これもたまにSNS上で見るのですが、

「○○年越しに新要素が発見!」
「実はこんな隠し仕様があった!」

みたいな記事や動画、結構ありませんか?

例えば有名なのだと、ピクミン2でメモリーカードを挿さない状態で数分放置すると、『どうぶつの森』のけけソングが流れるという隠し要素です。

こういう“長年誰にも気づかれなかった要素”って、ゲーム好きとしてはかなりワクワクするんですよね。

ただ、最近こういう話を見るたびに、少し不思議な感覚もあります。

最初にネットへ上げた人=最初に発見した人になる時代

ここれは多くの人が見落としている部分かもしれませんが、今の時代って、

「最初に見つけた人」ではなく、「最初にネットへ投稿した人」

が“発見者”になるんですよね。

例えば昔なら、

  • 友達同士の噂
  • 学校での口コミ
  • 攻略本に載っていない裏技
  • 地元だけで広まっていた話

みたいな、“ローカルな発見文化”がありました。

でも今は、SNSに載っていない情報は「存在していないもの」に近くなっています。

つまり、

  • 発見そのもの
  • 検証すること
  • 偶然見つけること

よりも、

「どれだけ早く共有したか」

の方が価値になりやすい時代なんですよね。

“自分だけが知っていた”が成立しづらくなった

私自身、過去に偶然見つけていた小ネタや仕様を、なんとなく記憶の片隅に置いたままにしていたことがあります。

でも数年後、それが「誰も知らなかった新発見!」としてSNSで話題になっていたことがありました。

その時ちょっと思ったんです。

「あの時SNSに載せていたら、自分が最初だったのかもしれないな」って。

もちろん、それで有名になりたかったわけではありません。

でも、昔みたいに、

  • 「自分だけが知っている裏技」
  • 「友達だけで共有している秘密」

みたいな感覚は、かなり減った気がします。

SNS時代だからこそ、“証明できるもの”だけが残る

私がゲームを始めた25年前も、ゲームの噂や裏技文化は普通にありました。

ただ当時は、

  • 「友達が見たらしい」
  • 「こうするとバグるらしい」
  • 「隠しボスがいるらしい」

みたいな、“曖昧なまま広がる面白さ”があったんですよね。

でも今は、スクショも動画も投稿もすぐできる時代です。

だからこそ逆に、

「証拠がないもの」「ネットに存在しないもの」

は信用されづらくなりました。

そしてその結果、

“発見する楽しさ”より、“最速で共有する競争”

の方が強くなったようにも感じています。

もちろんSNSそのものが悪いとは思いません。

私自身、ゲーム情報はかなりSNSやYouTubeから得ています。

でも、昔みたいに、

  • 「本当に存在するかわからない隠し要素」
  • 「友達同士だけで盛り上がる噂」

みたいな、あの曖昧なワクワク感は少し減ってしまったのかもしれません。

まとめ|ゲームの進化より、「攻略する楽しさ」を求めているのかもしれない

ここまでかなり長々と書いてきましたが、別に私は「昔のゲームの方が良かった」と言いたいわけではありません。

実際、今のゲームはグラフィックも演出も凄いですし、快適性も比較にならないほど進化しています。

ロード時間も短くなり、操作性も改善され、昔では考えられなかったような大規模なゲーム体験ができるようになりました。

ただ、その一方で、

  • 自分で発見する
  • 自分で考える
  • 自分で攻略する

という、“ゲームそのものを解き明かす楽しさ”が少しずつ薄れているようにも感じています。

だからこそ私は、

  • ブレスオブザワイルド
  • レクイエム
  • フロム作品
  • ピクミン

のような、「現代向けに進化しているのに、ゲームとしての本質を残している作品」に強く惹かれるんだと思います。

便利になったからこそ失われるものもある。

でも逆に、今の時代だからこそ“攻略する楽しさ”を大事にしているゲームは、より強く記憶に残るのかもしれません。

最近は「ゲームをプレイする」より、「ゲームを見る」時代になったとも言われています。

実況文化やSNS文化そのものを否定するつもりは全くありません。

実際、私自身もゲーム実況や考察動画をかなり見ています。

ただ、その中でもやっぱり私は、

「自分で遊んで、自分で発見して、自分で攻略した時の感覚」

を、今でもゲームに求めているんだと思います。

そして、多分そう感じている人って、意外と少なくないんじゃないでしょうか。

お問い合わせ

ブログに関するコメントお待ちしております!